2026/6/20 網谷奏 「二度目の挑戦」
こんにちは!千紘君からご紹介を預かりました、フィールドパート1年の網谷奏です。千紘君の部員日記に書かれていましたが、フィールドパートの方々はなかなか様子がおかしいので、とても楽しく、部活動を行えています。今まで陸上人生を振り返るような事がなかったので、この機会にさまざまな事を書いていこうと思います。
まずは自己紹介をさせてください。
名前:網谷奏(あみたにかなで)
学部:文学部
出身:皇學館高等学校
種目:走幅跳、三段跳

私が陸上を始めたのは中学1年生の時です。それまではサッカーをしており、足元などのプレイスキルがあまりにもなく、6年間キーパーをするといった奇行を犯していました。小学6年生の時に市内の小学生が集まり、陸上記録会を行うという行事があったのですが、そこで走り幅跳びに出場し、なぜか5m近く跳んだことで、調子に乗り陸上競技を始めました。中1の時は5m80くらい跳ぶことができ、また調子に乗る原因が増え、全中はいけるだろうとたかを括っていました。中2になると、先輩たちのおかげでリレーで全中に出場することができましたが、幅跳びでは伸び悩みました。全中に出場することができ調子に乗っていると、バチが当たったかのように、椎間板ヘルニアを患ってしまいました。それに甘えて中2の冬季を全く積まず、中3では全中の標準記録を切ることができませんでした。その悔しさから、地元の強豪校に行く事を決め、絶対インターハイに出てやろうと決心しました。
しかし、高一では全くベストを更新できず伸び悩み、中学で負けなかった子達にも負け始めました。伸び悩みすぎて、何が正解かもわからなくなり、坊主にもしました。ですが坊主にしたところで結果は変わらず、当時付き合っていた彼女とも険悪になりました。流石にまずいと思った当時の網谷少年は、高2の冬季を死ぬ気で頑張りました。そうすると、高2の初戦で100mの自己ベストを3年ぶりに更新し、幅跳びでも全中標準を切ることができました。県総体では幅跳びも三段跳びも自己ベストを出すことができ、東海総体へ駒を進ませることができました。しかし、2年目の途中で怪我をしてしまうジンクスを持っており、新人戦で三段跳びに出場した際、足首に大怪我を負い、それを機に、陸上界から姿を消しました。そのせいで未だに三段跳びをするのは少しトラウマです笑
正直、大学に入って陸上をもう一度やることにはすごく悩みました。どれだけやっても、昔みたいな踏切ができるのかという懸念や心配もありました。ですが、陸上部の体験に行った際に、先輩方がとてもフレンドリーに接してくださり、ここなら楽しくやれると思い入部を決めました。
大学での目標ですが、4年間のうちに、幅跳びと三段跳びで高校のベストを越すことと、関東インカレで勝負できる選手になることです。そのために、1年生のうちは走り方から踏切方まで勘を取り戻していければいいなと考えています。
また、千紘君の部員日記でも触れられていましたが、2年間陸上のブランクがあったために、入部当時は体重が70キロ近くになっていました。お腹がつまめるどころかズボンにお腹が乗っていました。流石にこれはまずいと思い、食事制限や筋トレをしたおかげで、6キロ近く痩せることができました。ですが足の速さは遅いままなので、千紘君くらい早くなるために頑張ろうと思います。
次回の部員日記は、同じフィールドパートの杉山統哉に回します。彼も入ってきた当初は普通の好青年だなと思っていましたが、関東インカレあたりから様子のおかしさが露呈し、フィールドパート1の変人です。そんな彼がどのような気持ちで陸上をしているのかを知れたらと思います。
それでは失礼します。
