2026/7/6 永沼博人「ハリボテの日本13位から」
こんにちは!大坂徠士輝くんから引き継ぎました、短距離パート1年の永沼博人(ながぬまはくと)です。
大坂くんは本当は投擲パートなのに自分のことをハードルパートと嘘をつく変なやつですがとても性格の良い面白い人間です。そんな投擲界の村竹ラシッドから託されて光栄です。1回目の部員日記ということで簡単な自己紹介からさせてください。最後まで読んでいただけると嬉しいです!

名前:永沼 博人
学部:現代心理学部 心理学科
種目:100m
出身校:東京都立豊島高等学校
地元の公立中学に進学し、そこの陸上部に入ったことが僕の長くなる陸上人生の始まりでした。小学校ではまぁまぁ足が速いといったレベルでしたが僕は自分のことを天才と思っていました。小学校のときは学校で13番目ほどでした。当然小さな地元の小学校で13番目なんて全く大したことはないのですが、やはり小学生。当時の永沼少年からしたら通ってる小学校はほぼ日本全体みたいなもんです。そのため学校で一番速かったたいせい君は僕からしたら日本人初の9秒台に最も近かったわけで、僕は日本で13番目に速い小学生だったのです。そうして謎の自信を持って入った陸上部で初の大会100m走。僕は思い知ります。「俺ってもしかして遅い?」と。14.3で駆け抜けたあの記録会は僕の唯一のデジタルタトゥーです。そこでウサインボルトの9.58のすごさを初めて感じると同時に日本13位のメッキが剥がれていき、小さな記録会ですら埋もれに埋もれ気づきました。陸上界というのは同じように自分を天才だと思った日本13位たちの集まりだったわけです。そこで僕はあまりの悔しさから汚い手を使ってでも勝ちたいという熱が起きたのでしょう。5本指ソックスを熱心に吟味し購入。形から入ることでベストを縮めていきます。大敗を喫して初めて何か本気で一番になりたいものができました。厳しい顧問の先生のもとで時には持病と戦いながら正々堂々と真の日本13位への歩みを踏み出し始めました。中学でのベストは11.92とぼちぼち。このぼちぼちのタイムを持ち私は近かったため都内指折りの弱小校である豊島高校に進学します。そこでの経験は新鮮で、練習メニューがなかったり、短距離界では禁忌とされる踵から着くことを良しと指導をされたり。僕の陸上の世界はひっくり返りました。
そんな弱小校の環境は僕の自己肯定感をあげにあげ、弱小校のエースという肩書きをぶん回していました。しかしボーナスタイムは学校の練習だけで大会先ではやはり他の日本13位たちとの敗北を繰り返していました。そうして陸上人生で恐らく最も頑張った高1の冬季がスタート。毎日6時間ほどの脳筋練習を終え、そして来る高2の初戦、当時のベスト11.50の僕は12.26という驚異的なタイムを叩き出ししっかりめに涙。休養の大事さを知り、最高学年となったころにはかなりの成長を遂げ、自分自身も高校初の都総体進出をし、非公認ですが10秒台も出し、皆さんからしたら大した結果ではないと思いますが自分のなかではとても嬉しい出来事でした。
そうしてちょっとの肉離れもしつつ引退を迎えた僕は、受験期中の確実に細くなっていく脚に悲しみを覚えながらも立教陸上部に入部。実をいうと未だに自分のことを天才だと思っています。足が速いのが一番かっこいいという小学生マインドを捨てれないからでしょう。全く根拠もなく自分より速い人ばかりですが、このありがたい環境で再び日本13位に返り咲き、そして人生初の日本一を勝ち取るために頑張りたいと思っています。
次の部員日記は同じ短距離一年の染矢くんに回します!跳躍の杉山君に回し、意地でもマットを片さないでお馴染みであると暴露しようとしていましたが既に日記を書いたあとなのでそれはまだ秘密にしておきます。染矢くんは200のタイムがありえないくらい速いのに100が遅い珍スプリンター、スプチンターなので200のコツを部員日記で書いてくれることを期待します。
