2026/10/9 大峰ラファエルはな「出会った全ての人への感謝と、楽しむ気持ちを胸に」

お疲れ様です!はじめまして、2年まっすーから引き継ぎました、フィールドパート3年の大峰ラファエルはなです。3年生の夏に入部をすると言う無茶振りを快く受け入れてくださった陸上競技部のみなさま、本当にありがとうございます。所属パート関係なく、一刻も早くみんなの名前を覚えて仲良くなりたいと思っています💪どうぞよろしくお願いします😊文章書くの好きなので蓋を開けてみたら長文長文長文になってしまうかもしれないです(^^;; (まっすーからは「ブログとか日記書いてるんですか?」と聞かれましたが書いていません😂)初めての部員日記、楽しんで書いていきたいと思います😊よろしくお願いします🌷

まずは自己紹介の前に、まっすーについて紹介させてください^ ^まっすーと初めて話したのは、私が陸上部の練習に通いはじめて2週間経ったくらいだったと思います。「僕の目標は、立教一有名なまっすーになることなんですよ〜^ ^」とめちゃめちゃ素敵な笑顔で話してくれた印象が強すぎて、まっすー=NEWSの増田くんだったのが、まっすー=陸部の増田くんになりつつあります🤣誰にでも笑顔で接する彼からは一緒に練習してるといつも元気をもらいます^ ^私がまっすーの目に「元気でパワフルなはなさん」に映ったのは、きっと周りにいてくれる陸上部のみんなのおかげです🥰

さて、ここからは私の陸上人生と、そして走高跳への思いを書かせていただきます😊

私が高跳びを始めたのは、中学2年生の時でした。きっかけは、やってみたいから!とか楽しそうだから!などのポジティブな理由ではなく出場できる種目が高跳びか幅跳びしかない状況だったからです🥲中学1年生の時は100mを専門にしていましたが、怪我で走れない時期がありました。「弾発股」という聞きなれない怪我名に怖さを覚えたのを今でも覚えています。走れるようになっても、短距離は競技人口が多いですね🥲選手にはなれませんでした。「どうせ記録を残せないならやったことのない高跳びを」という理由で始めたのが私と高跳びの出会いです。
2年生の秋に155cmを跳んだところで新型コロナウイルスが流行し、私は陸上部を離れました。再び始めたのは高校1年生の夏頃だったと思います。コーチ、家族、友人でもある部員のサポートのおかげで、2年生の初めに160cmの自己ベストを跳ぶことができました。そこからは、憧れである戸邉直人選手の研究活動からモチベーションをもらい、約1年間、自身の跳躍動作を研究しました。最終的に3万字近くのレポートを書きましたが、今思い返しても何も苦を感じず楽しんで自分の動作と向き合えた時間だったと思います。
3年生の都大会で163cmの自己ベスト更新、4位入賞をすることができました。横には中学時代から知ってる私のレジェンドたちがいて、大好きな友達とも入賞できて、嬉しすぎたんだと思います、表彰式の記憶がほとんど残っていません。浮かれて直前にリップを塗りたくったくらいです😂

写真:都大会表彰式の様子 中央:大峰

写真:南関東大会にて、大好きで最高なライバルと🫂❤️
奥:大峰

南関東大会、結果は161cm、7位入賞でした。踵で落とした最後の一本を今でも鮮明に覚えています。私の競技人生で一番長い空中動作でした。終わった瞬間ももちろん悔しかったですが、涙が止まらなくなったのは跳躍動画を音有りで見、姉の応援する声が聞こえた時です。コーチが祈るように見守ってくれていたことも知りました。お母さんは片時も離れず、スタンドにいてくれました。遠いのに応援に来てくれていた仲間や授業中なのに速報を追ってくれた友達、高跳びのルールを同級生に教えながら見守ってくれていた友達もいました。ずっとどこか1人で戦っているような感じがしていましたが、周りを見れていないのは私だったんだと気づかされました。感情を一言で表すのは難しいですが、後悔と悲しさと応援してもらえたことへの嬉しさと自分への怒りがずっと心に残りました。

高校の時の自分を今振り返ると、周囲を見る余裕がなかった、そしてそれと同じように自分自身の競技スタイルや考え方に向き合うことを避けていたように思います。なぜ走高跳をしているのか、「高跳びが好きだ」という気持ちは持ちながらも、記録ばかりに目がいき、進出する大会のレベルばかりに目がいき、自分の競技力を高めることだけに精一杯になっていました。周囲の人たちと笑い合い、助け合った思い出も沢山ありますが、それ以上に一杯一杯になって家族やコーチとぶつかってしまった時間を思い出してしまうのは、高校時代の自分の余裕のなさが当時の自分を強くかたどっていたからだと思います。仲間の存在も、支えてくれている家族の気持ちも、時に厳しく指導してくださるコーチの優しさも見失っていました。

そして今、約2年間のブランクとその後の捻挫期間を経て、競技力がほぼ0になって思うのは、今の自分の方が幸せな競技生活を送れているということです。それは決して、周りの環境のせいではなく、自分自身の競技への向き合い方が変わったことが要因にあると思っています。
私の価値観が変わるきっかけになったのは、留学先での陸上クラブでの経験です。自分の試合が続いている最中でも、「はななら跳べる」と声をかけてくれる優しさ、「楽しかったならそれが一番」、「悪いところがあるということは、伸び代があるということだよ」と励ましてくれるメンバーと一緒にいると、「陸上は個人競技ではない、結果を残すことが全てではない」と切実に思うようになりました。競技に対して真剣に取り組みつつも、周囲とのコミュニケーションを楽しむ彼らや、好きという気持ちを大切に長年競技を続けている彼らの行動は、「記録を追求してしまう」私の競技スタイルをいい意味で180度変えてくれました。高校時代にも同じような言葉をかけてもらっていたことがありました。でもその時の私はそれらの言葉を受け取って自分のスタイルを考え直すことができるほど余裕がありませんでした。「物事には全てタイミングがある」とは言いますが、今、高跳びを通してこのことに気づけたのは幸せだと感じています。そして、過去の自分を否定するのではなく、受け止めて前を向けている自分がいることを嬉しく思います。

写真:留学先で所属していたクラブの仲間と💜🤍💚

最後に、もう一度高跳びをやりたいと言った時に嫌な顔をせず受け止め、応援してくれた家族に何度言っても足りないくらいのありがとうを伝えさせてください。

今までそれぞれの場面で出会って来た全ての人たちへ感謝の気持ちを持ち続けながら、新たな気持ちで走り高跳びに向き合っていきたいと思っています。

そして競技面では、在学中の自己ベスト更新を目指して真剣に、全力で楽しみながら取り組んで参ります。応援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

右: フィールドパートのボス・村田😎❤️、左:大峰

さて、次の部員日記は、我らが主将・本郷達也くんにお願いしたいと思います🙌実は本郷くんは私が初めて話した陸上部の同期です^ ^大学1年生の時、陸上部の体験に参加させていただいたのが、本郷くんと同じ日でした🙇🏻‍♀️当時、「明星出身棒高跳び専門です」と聞いた時、別世界に住む人のように輝いて見えた彼ですが、現在は主将⁉︎彼には本当に驚かされてばかりです😫練習では本郷くんが誰にでも明るく笑顔で接している姿をよく目にします😁親しみやすい本郷くんの部員日記を今からとても楽しみにしています🔥