2026/9/25 林千尋「もう一度、とぶ」

こんにちは!フィールドの芝本璃音から引き継ぎました、フィールドパート1年の林千尋です。

りおんから部員日記が回ってきた時に、あ、次は絶対私に来るだろうなと思いました笑りおんとは最初はなんかお互いあの子誰だろうってなりながらも、話してみたらめちゃめちゃ面白い子で、すぐに意気投合したのを思い出しました!これからも同じフィールド1年としてよろしくね!!!

りおんとの思い出は語ったらキリがないのでこの辺にしといて自分の自己紹介に行きたいと思います!

・氏名 林千尋
・学部学科 スポーツウエルネス学部スポーツウエルネス学科
・出身高校 成田高校
・種目 棒高跳び、走幅跳び
・好きなこと 寝る 食べる 友達と遊ぶ

初めての部員日記なので今までの振り返りをしていきたいと思います!

私は小学生の頃、器械体操をやっていました。
中学生になり、友達と陸上部の体験に行ったのがきっかけで陸上を選びました。
種目は、もともと「跳ぶこと」や「空中にいること」が好きだったので高跳びを選びました。中学3年生では混成競技を行い、最初は嫌だった混成競技も、いろいろな種目に出られることが楽しくなり、陸上がどんどん好きになっていきました。中学3年生では全中標準突破を目指しましたが、最後の200mで向かい風4.8が吹き、標準を突破できず、トラックに泣き崩れました。これが私にとって陸上での最初の挫折でした。

高校は成田高校に入り、髪の毛もものすーーごく短くなって男!?ってみんなによく言われてました笑競技は高跳び、混成競技をやっていましたが、高校1年生の冬、そんな中監督から「棒高跳びをやってみないか」と声をかけていただきました。

ここから私の棒高跳び人生が始まりました!

最初は「自分にできるのかな」と思いましたが、実際にやってみると、今までやってきた種目とはまた違った楽しさがありました、ですが、高跳びがやりたいとずっと思いながら練習していたのもいい思い出です笑

棒高跳びを真面目にちゃんとやろうと思った出来事がコーチとの出会いでした。
技術面だけではなく、競技に対する考え方や向き合い方など、たくさんのことを教えていただきました。今振り返ると、私がここまで棒高跳びを続けてこられたのは、監督やコーチをはじめ、たくさんの方に出会えたからだと思います。
高校最後のシーズンでは県大会で、棒高跳び、走幅跳、4×100mRに出場し、たくさんの仲間の応援、サポートがあったからこそ3種目で自分の力を出し切れたのかなと思いました✨️

しかし、南関東、カンセキスタジアムで思い出したくもない大怪我をしました。目標としていたインターハイに出場することができず、今まで当たり前のようにできていた練習や競技ができなくなり、コーチにも絶対棒高跳び、陸上なんてやらないと言っていたのを思い出します笑
それでも、練習に行けない時も声をかけてくれた先生やコーチ、友達、家族など、たくさんの人が支えてくれました。自分一人ではなく、周りの人に支えてもらいながらここまで陸上を続けてきたんだと改めて感じました。

立教大学に入り、棒高跳びの練習をする中、その時にやはり高校の時のトラウマが簡単に消えることはなく、コーチと泣きながら5時間半以上とび続けたり、「もう、ほんとに飛べないできないの無理」など言いながらもずっとずっと支えてくれたコーチがいたからこそ全助走がまたできるようになりました!
大学入って初めての関東インカレでは、トラウマのカンセキスタジアムでしたが、立教の方々を始めとしたたくさんの人の応援がありNMでしたが試合を行えました!
試合が終わったあとも陣地に戻る前に高校からの大好きなふうか先輩が駆け寄ってくれたり、陣地戻った時も一瞬でフィールドパートのみんなが集まってくれたのが本当に嬉しくて、陸上を続けて良かった、立教大学に入れてよかったと強く思いました。

ここだけの話中学2年生の時から毎年松葉杖をついてる私なので、大学では怪我をせず、愛あるフィールドパートのみんな、ずっと支え続けてくれてるコーチ、高校の監督に恩返しができるように、まず怪我をする前の自分を超えること、そして4年間で4m20を安定して跳べる選手になることが目標です。記録だけではなく、周りの人から「応援したい」と思ってもらえるような選手になれるように、これからも頑張っていきたいと思います!
長い文章になりましたが、読んで頂きありがとうございました。

次は、同じ1年生の、1番最初に出会った今井美莉亜に回したいと思います。
みりあとは出会った時から一瞬で仲良くなり、お泊まりだったりうちわを一緒に作ったりまだ入学して半年も経っていませんが、いつも一緒にいます!ちょくちょく抜けてるところもある彼女ですが、どんな部員日記を書いてくれるのかとても楽しみです!