2024/09/23三笠雄大「私が力を出し切る理由」

2年 三笠雄大 中距離パート 右のやつ

お疲れ様です。中距離ブロック3年の赤澤拓磨先輩から引き継ぎました。中距離ブロック2年の三笠雄大です。海地先輩、タクミ、赤澤先輩と中距離が続いていたことから嫌な予感はしていましたが、とうとう回ってきてしまいました。

赤澤先輩は高校陸上部からの先輩であり、私は今年で赤澤先輩の後輩歴が5年目ということになります。赤澤先輩は私が高校に入った時から変わらず、頼れる先輩と言うイメージです。特に一緒にペース走をするときなどは「俺引っ張るよ」と率先して引っ張って下さり、大きくてガタイが良く、頼りがいがある背中を後輩たちに見せてくれます。時々ペースブレイクをなさいますが、間違いなく頼りがいがある頼もしい先輩です。これからもよろしくお願いします!

とりあえず軽く自己紹介をさせていただきます。

名前は三笠雄大(ミカサユウダイ)と言い、800mをやっています。進撃の巨人に「ミカサ・アッカーマン」というキャラがいるので初対面の人に自己紹介をするときは高確率でその話をされます。埼玉県さいたま市に住んでいて中学は地元の中学に進学し、推薦入試で立教新座高校に進学し、そのまま立教大学に進学しました。趣味はゲームやYouTube、アニメなどです。ゲームはクラロワ(9000トロ)やモンスト(ランク1281)やSwitchの王道のゲームをします。もしやっている人がいたらフレンドになってくれると嬉しいです。

前回の部員日記で赤澤先輩に私のラストは「力を出し切る」と書かれたように、レース後は写真のような感じになります。いったいなぜこんなことになってしまったのかを自分の陸上人生を振り返りながら語らせていただければなと思います。

私の地域では小学5,6年生になると市内の小学校対抗の駅伝があり、9月~11月までの約3か月間毎日、朝や放課後に走らされるという地獄のようなイベントがありました。しかし、小学5年生の私はこの3か月間で走ることの楽しさや難しさ、奥深さを知り、走ることを極めたいと思いました。そしてこの時、私は陸上競技や駅伝などの存在を知り、少し興味を持ち始めました。小学6年生になったタイミングで土日に公園で遊んでいた友達が皆、中学の部活のためなどからかサッカーやバスケなどを習いだし、私は土日に公園で遊ぶ友達を失ってしまいました。そこで、昨年興味を持った陸上競技を土日でやっている地域のクラブを見つけ、通い始めました。これが私の陸上人生の始まりです。ちなみに、このクラブで塚原潤と出会いました。学校の地獄イベントと陸上クラブによって、みっちり鍛え上げられたのと同時に走ることの楽しさに洗脳されてしまいました。

中学に入学し、私は陸上競技に入部しました。私の中学の陸上部はとても緩く、レベルもかなり低かったので、部活でのゆる練と夜の自主練の2部練をしていました。夜の自主練は家の周りの道を爆走するというメニューで、今思うとよく事故にもあわず、大きな怪我もしなかったなと思います。また、当時の私はジョグが嫌いだったため、ほとんどジョグはしませんでした。そんなとんでもない練習メニューでしたが、記録は順調に伸び、市や県の強化選手に選ばれるレベルにまでなることができ、最終的に全国大会の標準記録を切り、全中に出場することが出来ました。ここまでの私は練習後やレース後でも写真のようにはならず、陸上競技を行っていました。そのため、あきらめるときはあきらめるし、それによって決勝に行けなかったりした試合などもありました。

写真中央上

私がレース後にこうなるようになったのは高校からです。私が高校に入った時はコロナ真っただ中だったため、学総の県大会は中止で、まともに試合に出られたのは8月あたりでした。そして9月になり、新人戦地区大会が始まるという時に、学校でコロナ感染者が出てしまい、新人戦地区大会に出ることが出来なくなってしまいました。とても絶望したことを覚えています。しかし、結果的には救済措置として、新人県大会から出場させてもらいました。この経験から試合に出られることのありがたみや一試合の重みなどが分かり、一試合一試合を大切にするようになりました。そして、もう一つの理由は仲間の存在です。私は高校時代、仲間からとてつもないサポートを受けていました。応援だけでなく、アップや招集所までの付き添い、そして何より、レース後に招集所まで迎えにも来てくれました。私はこれがとてもうれしく、その迎えを私は何としてでも笑顔で応えたい気持ちがありました。そのためにも、しょうもない走りをするわけには絶対にいかないのです。レース後に私がどんなにボロボロでも仲間は助けてくれ、私はそのやさしさに甘えまくっていました。しかし、そんな私にも仲間は「走った後のことは考えなくて良いよ」と言ってくれました。これが私が力を出し切るようになった理由だと思います。高校は結局、個人ではインハイに行けず、北関東で落ちてしまいました。しかし、中学時代には県大会の入賞は1度しかできなかったのに対し、高校ではすべての県大会で入賞することが出来ました。ここまで結果を出せたのは私が全力を出し切れるようにしてくれた仲間のサポートがあってこそだと思います。

高校を卒業し、大学の陸上部に入り、メンバーが変わっても私は変わらずに、エチケット袋を抱えてぶっ倒れています。大学でもいろいろな人に支えてもらい、競技に全力で打ち込めています。本当に恵まれた最高の環境で陸上が出来ているなと思います。本当にありがとうございます。これからもお見苦しい姿を見せると思いますがよろしくお願いします!


話は変わりますが、今週の金曜日から関東新人が開催されます。私は個人の800mと4×800mリレーに出場します。昨年個人では一人だけ予選落ちというトラウマがある関東新人であるため、今年はそれを払拭したいところですが、それ以上にリレーが楽しみで仕方がありません。選考TT、全カレと仲間の本気で走る姿を観戦し、とてつもない刺激を貰いました。今年は主力の2人を欠くメンバーですが、昨年更新した立教記録を上回り、優勝することも可能だと思っています。死ぬ気で走ります。応援よろしくお願いします!

写真左から2番目

次の部員日記ですが、私は同じく中距離ブロック2年の松山響に託しました。彼も立教新座陸上部出身で、山崎と共に実力でチームを引っ張ってくれていました。流しなどもよく付き合ってもらい、非常に刺激をくれました。そんな彼はとても陸上熱心で、部活のために志木で一人暮らしを始めたり、生活費に困窮しながらもシューズを買ったりします。また、メニューや筋トレなどもいろいろなところから仕入れて実践したりなど、非常に探究心や実行力が高い男です。そして何より素が面白く、ぶっ飛んでいるため部員日記では何を書くのか想像もできません。そんなわけで私は彼に託しました。

長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

以上です。失礼します。