2024/8/5 前嶋大希「再挑戦」

1年 前嶋大希/短距離ブロック

初めまして。短距離ブロックの佐藤壮輔君から引き継ぎました、1年短距離ブロックの前嶋大希です。壮輔とは同じ短距離短長ブロックで練習をともにする仲です。彼のガッツあふれる根性や、センスあふれる髪型にはいつも感激しています。(笑)高校時代、最低でも200mを練習で走っていたということに感銘を受けています。テンポ走では流し以上のスピードを出しているので、いつもペースブレイクされています。彼とは同じ神奈川出身ということもあり、神奈川の会話をすることが多々あります。最近は彼の練習に関して、アドバイスをしたり、短長ブロックの同期である羽田光希君と一緒によくいじっています。その際の彼の表情は非常に輝かしい様子です。以上が壮輔君の紹介です。ここからは、僕自身のことについて書いていこうと思います。僕自身口下手な部分があり、話すことが得意ではありません。ですが文章を綴ることは好きであるため、拙い文章にはなりますが見ていただけたら幸いです。そして、僕自身の競技結果を多く載せているため、快く読んでいただけたらありがたいです。

 まず初めに僕の経歴について綴っていこうと思います。僕は神奈川県座間市の出身で、同じ中学校の卒業生には、ボクシングの井上尚弥選手がいます。その後、長野県佐久私立佐久長聖高校に進学しました。陸上競技部に所属しながらも、普通科一類というクラスに属していたため、非常に忙しい生活をおくっていました。ですが、高校では「陸上」「陸上」「陸上!」みたいな高校生活を過ごしていました。僕の主観にはなりますが、長野県、北信越地区では強豪校に属する高校で、陸上競技に取り組んでいました。同じ高校の同期や先輩には、インターハイやU20、国民体育大会といった、全国規模の大会で入賞する選手を輩出しています。彼らの活躍にはいつも尊敬の念を抱きながら練習していました。指導者である顧問の先生も陸上競技に対し、真摯に取り組んでいたため、僕自身、何か抜けているような感覚を得ていました。(他の選手の方が素晴らしいという意味です)そんな中で、僕も陸上競技に取り組んでいたため、より高いモチベーションの状態で生活することが出来ました。非常に濃い高校生活を送れたこともあり、今の自分があるのだと思います。おそらく同期や顧問の先生は僕の文章を読まないと思うので、ここで綴りますが、彼らにはとても感謝しています。

 次に僕の非常に濃かった高校生活について綴っていこうと思います。僕は高校時代立教陸上競技部でわずかを占める、寮生活をおくっていました。どんな生活をしていたかというと、友達の洗濯機にヤクルト1000をいれたり、寮の廊下で、爆音で中国語の謎の音楽を流すといったり、破天荒な生活をおくっていました。(笑)ちなみにこれが日常茶飯事であったため、寮の人たちとはよくバカ騒ぎしていました。そのたびに、注意を受けていましたね。とても楽しかったです。この時の寮生活を通して、自己管理能力を高めることが出来ました。時間の作り方や使い方を身に着けることが出来ました。ですが、陸上競技や勉強面では手を抜かずに取り組んでいました。学校生活では、挨拶の姿勢、お菓子・ジュース禁止といった厳しい規則のある中での生活でした。自分を律する力、周りを見る力などを高校生活を通して身に着けることが出来ました。礼儀、忍耐、誠実といった、社会に出て必要になる能力を身に着けることが出来ました。高校の部活では、競技力だけではなく、人間性を伸ばす指導を受けていました。そのため自分自身の規律を高めながら、意識の高い生活を送ることが出来ました。体育会系に所属している身として、個人を律する力は大いに役立つと考えており、少しずつですが、身に着けることが出来ました。律する力といっても、ただ我慢するのではなく、周りを見て考える力のような能力も身に着けることが出来ました。私は体育会に所属することの目的は、ただ中途半端な気持ちでスポーツに取り組むのではなく、明確な目標を設定し、それに向けて突き進んでいくことだと思います。高校1年生のころは中途半端な気持ちでやっていました。日ごろのわずかな気のゆるみが命取りとなり、中途半端な精神につながってしまいました。そして、中途半端な気持ちが部にもつながり、部には迷惑をかけてしまいました。つまり体育会として活動していく以上、明確な目標設定、勝負精神が必要だと思います。僕は今、フレッシャーズキャンプに参加しながらこの文章を綴っています。改めて体育会とはなにかということを深く学ぶことが出来たので、ここに綴っています。眠さマックスで綴っているので、文章のおかしなところが多いと思いますが、寛大な心もちで読んでいただきたいです。まとめると、競技だけでなく、様々なことを学ぶことが出来ました。 続いて僕の人生を大きく変えた、高校時代の部活動について綴っていこうと思います。僕は中学校の頃から陸上競技を続けていました。そのため、佐久長聖高校入学後、陸上競技部に入部し、日々地獄を見ていました。1年生次は3年生のインターハイ前ということもあり、非常にピリピリした環境であったため、なんだか陸上競技が好きになれませんでした。そのため、1年生次のシーズンではあまり記録を残せずにいました。先輩方との関わりもあり、練習に対して少しずつモチベーションを上げながら取り組むことが出来ました。シーズンが終わり、冬季のシーズンに入り、どんな練習なのかなーと思いながら待っていました。案の定、地獄以上の環境を経験してしまい、憂鬱な気持ちのまま練習に取り組んでいました。競技場練習の際には○○○Dというメニューがいやすぎて、恐怖症になっていましたね。人生において、本当に陸上競技をやめたいと思った瞬間はこの時でしたね。ですが、コロナウイルス、練習していた競技場の改修工事もあり、冬季の後半シーズンは競技場が使えない状態になりました。練習は学校内や坂練習のみとなり、内心「よっしゃーーーー!」みたいな心情でした。今振り返ると、このときにもっと自分を追い込むことが出来れば次のシーズンがうまくいったのかと思いました。○○○Dがないというだけで、練習に対するモチベーションが上がりまくりでした。冬季は主に、身体づくり、動きづくりが中心となった期間でした。その期間は筋持久力、筋力ともにバランスよく鍛えることが出来ました。初めて経験した佐久長聖の冬季練習通して、心身ともに成長することが出来ました。補強した筋力ベースを元に、走りにつなげられ、2年生のシーズンへとつなげることが出来ました。しかし、冬季を競技場で詰めなかったということもあり、理想とする地点まではたどり着くことが出来ませんでした。冬季を終えてから後悔していました。2年生となり、中堅学年となりました。3年生を支える立場にありながらも1年生を引っ張る立ち位置になりました。今考えたら、自分自身何もチームに貢献することをしていませんでした。前半シーズンは、冬季で追い込めなかったこともあり、理想の走りができませんでした。そのため、あまり記録が出ずに悩んでいました。その中で、顧問の先生には徳島インターハイで帯同組として連れて行っていただきました。徳島インターハイでの多くの学びから、3年生の強さを実感しました。初めて行ったインターハイでは、男子4継が5位入賞し、心の中では、非常にうれしい気持ちでした。しかし、走ってなくとも、悔しい気持ちがわいてきました。来年は自分もこのような景色を見たいと思った瞬間でした。インターハイのために努力し続けた先輩方の姿勢、全国屈指のチーム力の強さを目の前で見て、非常に自分の弱さを知りました。他にも、ランキング外から入賞する選手や、大会記録を塗り替えるような走りを見て大会では多くの学びを深めることが出来ました。身近に存在する強い選手の刺激も受けていたため、自分は恵まれた環境下で陸上競技に取り組めていたのだと再認識しました。2年生の新人戦では、200m、400m、4継、マイルの4種目で出場させていただきました。地区予選ではあまりいい結果ではありませんでしたが、200mで優勝し、PBを大幅に更新することが出来ました。(あまりタイムは速くないです)200mでの飛躍もあり、400mのレースにもつなげられ、県大会へとつなぐことが出来ました。県大会では4種目で決勝に残ることが出来たものの、一つも1位という順位をとれませんでした。この時、今までチームを作ってくださった歴代の先輩方への顔向けすることが出来ず、非常に悔しい気持ちでした。支えてくださる方々のためにも、結果を残さなければいけないという思いから、より一層気を引き締めて生活していました。県大会後の北信越新人では、4継が3位、マイルが5位入賞し、来年の北信越につなげられるレースでした。しかし、個人では何も成果を残せなかったため、自分の弱さを再び実感しました。シーズン終了後、2年目の冬季練習を経験しました。冬季練習では、3年生引退後、2年生が引っ張っていかなければいけない状況でした。自分自身、チームを引っ張っていかなければいけないということは思いながらも、あまり行動に移せませんでした。他の2年生に任せきりになっていまいました。自分でもキャプテンシーのような能力がないことは自覚していました。練習に対して全力で取り組んでいるつもりでしたが、周りを引き込むような取り組みではありませんでした。寮生の規則である、朝練習には特に力を入れていました。毎朝の練習を通して、精神面ともに成長することが出来ました。冬季後半になり、このままじゃいけないと再自覚し、より陸上競技に対して熱心に取り組みました。多くの合宿を経験したことにより、自分の根本の弱さを知ることが出来たので、改善に向けて全力を注ぎました。4月に入り、高校シーズンラストになりました。ここでの記録が僕の専門種目を100mにしました。そして、僕の陸上人生における転機でもありました。シーズン初戦は100m、200mに出場しました。200mでは寒さと強風の向かい風によって、高1のベストと同じくらいのタイムが出てしまいました。しかし、後日あった100mではまさかの10”91をいきなり出し、いいシーズンになりました。次の試合では200mに出場し、PBを出すことが出来ました。しかし、迎えたマイルリレーでは2走を務め、まさかのラップタイム50”81とかいう遅すぎるラップタイムをたたき出してしまいました。その後、顧問の先生には手厚い指導をくらってしまいました。顧問の先生とは今まで信頼関係を築けていなかったので、その時初めて信頼関係を築くことが出来ました。チーム内の立ち位置に気づき、自分がチームをインスパイアする存在として立っていることに気づいた瞬間でした。この時の指導もあり、顧問の先生を心から尊敬する気持ちが芽生えました。信頼を得てから臨んだインターハイ東信地区予選では100m、200m、4継、マイルともに出場させていただきました。専門を100mに移してからわずか1ヶ月しかたっていなかったのですが、自己ベストに近いタイムを出し、流れに乗ることが出来ました。歴代の先輩たちには遠く及びませんでしたが、チーム内の指揮を高める存在になれるよう努めていました。仲間の助けもあり、陸上競技に対して少しずつ前向きな気持ちになれました。その後迎えた県大会では右足の第5中足骨を疲労骨折してしまい、厳しい中で迎えた大会でした。ですが、仲間、支えてくださる先生方のためにも頑張りたいという思いであふれていました。結果としては出た種目すべてにおいて北信越大会に進むことが出来ました。今でもサポートしてくださった方には深く感謝しています。そして、自分の中での勝負となる北信越大会を迎えました。怪我が完治していない中でした。初日は4継予選があり、自分は4走というチームの核にとなる走者を務めました。なんとしてもインターハイに行きたいという気持ちが強かったため、チームの力を最大限引き出すためには何がいるかを常に考えていました。2日目になり、4継準決勝を迎えました。結果としては、すべてが上手くいかず、落ちてしまいました。同じ練習をともにしてきた、苦楽を乗り越えてきた同期の仲間を引退させる形になってしまいました。自分自身、個人での悔しい気持ちもありましたが、同期の仲間に対する申し訳なさが胸を埋めてしまい、レース後は初めて大会で泣いてしまいました。しかし、切り替えていかなければいけないことはわかっていたので、個人100mに対してはより強い気持ちで臨みました。予選を着順で通った後、準決勝を迎えました。非常に周りに強い選手がいる中でのレースとなりました。スタートからの流れは良かったのですが、あと一歩及ばず、落ちてしまいました。そのとき、自己ベストを更新しましたが、インターハイに届かなかったという思いが強かったため、うれしい気持ちがわきませんでした。100mを終え、200mを迎えましたが足の疲労もあり、力を発揮できませんでした。そのため、マイルには出場しないと思いきや、まさかの決勝起用で使っていただきました。マイルでは自分は出ていませんでしたが、予選8着通過となり、自分が流れを変えなければいけない状況でした。マイルでは3走を務め、6着でバトンをもらい、5着としてバトンをつなぎました。その時の走りとしては、今まで以上の最高の走りができました。自分以外のマイルメンバー3人のおかげで6位入賞し、インターハイへの切符をつかみました。インターハイ出場を目標に日々活動してきたため、歓喜していました。レース後顧問の先生とした握手では、感動してしまいました。顧問の先生の声掛けから陸上競技の楽しさをより知った瞬間でした。北信越大会を終え、インターハイ当日となりました。結果としては予選落ちでしたが、初めて経験したインターハイでは今まで見られなかった景色が見えました。アップ場ではアップをする選手の集中力、レースを迎える選手の姿は非常に輝かしく見えました。このときの経験から全国で戦う選手の雰囲気、人間性の高さを深く学びました。同期の入賞を目の前で見ることで、自分とはレベルがはるかに異なることを実感しました。しかし、彼らはチーム内でも誰にしても平等に接したりする姿勢から、強い選手の人間性の高さを理解しました。強い選手ほど、人間性がはるかに高いと学んだ瞬間でした。インターハイを終え、僕の引退となった東海選手権大会を迎えました。200mに出場しましたが、実業団レベルの選手、全日本インカレで決勝に残る選手がいる中での大会でした。結果として予選最下位でした。しかし、周りの強い選手のレース展開を目の前で見て、自分に足りないものを知りました。特に川端魁人さんの走りを目の前で見て、強い選手に共通しているものが何かを考え直すことが出来ました。引退試合としてのタイムは悪かったのですが、陸上競技をやりきることができたため、後悔なく引退することが出来ました。そして、これで陸上競技を完全引退しようと思っていました。月日がたち、卒業式を迎えました。卒業式では、顧問の先生に直接感謝を伝えることができませんでした。そのため多少の後悔が残りました。顧問の先生はほとんど気にしていないと思いますが、彼らには僕に陸上競技を続けた方がいいと言ってくれます。僕はその時、陸上競技に対する情熱の高さを再び思い出しました。僕は陸上競技が好きなのだと再認識しました。加えて個人ではかなわなかった全国への切符を再びつかむため、入部しました。そして、今に至ります。ほとんどまとめられていませんが、高校生活での多くの学びから、僕は成長することが出来ました。

 次の部員日記は短距離パート2年、エースである押山千裕さんに回そうと思い、インスタにて、DMをおくりました。しかし、既読が付かなかったため、短距離パート2年、新田竜大さんに回すことにしました。新田さんとは部活体験にて、最初に話した先輩です。いつも笑っており、非常にユーモアのある人だと思います。パッションがあり、ダイナミックな走りが印象的です。男子校出身とは思えないコミュニケーション能力の高さから、僕は尊敬の念を抱いています。しかしながら、たまに不適切な発言を聞きます。不適切すぎる発言から、順々に僕の中での印象が下がっています。(笑)新田さんがどのような文章を書いてくれるのか、僕は楽しみに待っています。

 最後に、拙い文章になりますが、最後までお読みいただきありがとうございました。