2025/8/25 鴨野真暉 「獨協埼玉三男坊」

初めまして!サポーターパート1年満田結から引き継ぎました、フィールドパート1年の鴨野真暉です。

まず初めに福田監督をはじめ、紫聖会の皆様、そして日頃から陸上競技部を支えてくださっているすべての方々に感謝申し上げます。そしてこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

結は交流会で初めて話したらしいですが、私はほぼ覚えてません(笑)ただ、帰る方向が同じで一緒に帰る時によく恋愛話をして盛り上がります(笑)野球は巨人ファンになりましょうね
今後も競技のサポートお願いします!

拙い文章ですが、温かい目で見て下さい🙇

(写真左)

名前    鴨野真暉 (かものまさき)

生年月日  2006/11/20

学部学科  現代心理学部心理学科

専門種目  走幅跳 三段跳

出身校   獨協埼玉高校
 ↑中崎先輩、八村先輩の代被りの後輩です

私が陸上を始めたのは中学校1年です。入ろうと思ったきっかけは、小学校の市内陸上大会で選手になれたという喜びと中学校で特に入りたい部活がなかったのでなんとなく陸上部を選びました。
最初はやりたい種目も特に無く、言われるがままに110mHを専門にしていました。そして大会で活躍できたわけでも無く何となく過ごしてそのまま中学時代の部活は終わりました。

ここまで読んでお分かりの通り、私は意志が弱く、「なんとなく」という言葉の通りに様々なことを決めてきました。

そして高校受験。目指すこともやりたいこともなかったため、お決まりの「なんとなく」で、姉が通っていたからという理由だけで獨協埼玉高校に入学しました。
高校でも入りたい部活も無く、陸上部に入りました。
進学した獨協埼玉高校は特別部活に力を入れているわけでは無く、校風さながらのびのびした感じでゆるく、大袈裟に言うとレクリエーションという感じで部活動をしていました。
私はもちろん関東だのIHに出て見たい気持ちはあったけれど、到底出れる実力もなければ専門指導してくれる指導者もおらず、案の定県大会に出て終わりという現実で、それを簡単に受け入れている自分がいました。
そして、私は顧問の先生から「硝子の足」と呼ばれるほど怪我が多く、実際いまだに後遺症が残る怪我を普通の人では考えられないほどしてきました。

そして大学選び。私はプライドなんてものより安定を求めて一般受験は真っ先に捨てました。指定校推薦という神制度がなければ今頃大学に行けていたのでしょうか?笑
それはさておき、大学選びでも安定の「なんとなく」です。私は大学で学びたいことも特に決まってなく迷っていた時に中崎先輩(フィールド3年)が立教で陸上を続けないかと声をかけてくれてそのきっかけだけで立教大学を志望することにしました。
と言ってももちろん一般は無理なので推薦である学部で選び、丁度姉と同じ心理学部があったのでそれにしたというだけで大学に入学しました。

ここまでの文章を読んで多くの人がこの人は何故陸上を続けているのだろうと思うと思います。実際、フィールド1年 智、悠太、慶希には「俺だったらやめてるわ」と言われたほどです。

私は確かに弱小校出身で怪我も多く、意志が弱く、実績もないです。
ただ、私は高校1年の夏合宿で陸上に対しての想いが大きく変われたと思います。
それは、1年間だけ副顧問としてずっと見てくれたS先生のおかげです。長距離専門の先生でしたが、種目の違う私をすぐに諦めの道に逃げる姿を見せても全く見放すことなく最後まで見続けてくれました。そこでも「やめんの?」などたくさんの声がけをして下さったり、合宿の毎晩足の状態を見て下さったり、合宿日誌を通じて自分の思いに寄り添ってくださったり本当に陸上においても精神面でも支えられました。そのやりとりや先生の指導で自分は陸上に対しての熱が変わったと思います。これまで実績も実力もない自分にとっては陸上はただの「部活動」にしか思っていませんでした。
ただ、陸上の楽しさや深さを知ったのも先生のおかげであることを確信してます。

そして合宿が終わり、高1の学総地区予選。私は何故か一回も練習したことのない400mHに出場しました。
そしてもちろん結果はダメどころか左足首靱帯を損傷しました。←未だに後遺症があり治りません。笑
もうハードルが怖くなって何で自分って陸上やってんだ?と考える前に物理的な痛さと恥ずかしさと悔しさで初めて競技に対してありえないほど泣きました。
そこでもS先生はずっと横で慰めがてら次について考えてくださり、関東、IHを一緒に目指そう、必ず行けるから連れてくからと約束して下さいました。どれほどの場面でどれほど助けられたかはもう計り知れません。

総体が終わり、顧問副顧問2人からお前幅跳びに移行しないか?と勧められました。
もう自分は当時どうにでもなれと思っていたのでそのまま何も言わず受け入れ、そこから幅跳び競技人生が始まりました。

とは言うものの怪我がある程度治り、再開すると今度は逆足首靱帯を損傷。何をしてるんですか?と殴りたくなるほどですね。

その他にも剥離骨折、肉離れ、ましてやハムスト手術までしました。
本当に親に1番迷惑をかけてしまっています。それなのに何も言わずに陸上を続けさせてくれていること、本当に感謝してます。ありがとう。
今後怪我したくないけど怪我したらすいません。

おそらくそんなこんなで中高の半分以上故障組にいてもうあの景色は見たくありません。笑

そして毎回選ばれていた4継・マイルのメンバーも自分が怪我で入ったり抜けたりと本当に迷惑をかけたなと思います。すいません。

(写真右から2番目)

幅跳びは初めは何もわからず全く体験したことのない競技でしたが、それも専門ではないけれどずっとS先生が付きっきりで友人の伝手も借りてたくさん指導していただきました。そして幅跳びを始めて初の高2新人戦で県大会を決め、その年の総体地区予選も8に残り、その後も地区予選は8に残ることができ、順調に記録も伸びて、跳躍競技の楽しさを知ることができました。あの時幅跳びに移行していなかったらどうなっていたのでしょう笑
そして、埼玉東部地区の幅三段メンバーがとても仲良くしてくれて、本当に助かりました!
大学は違くともこれからも一緒に頑張ろう🔥

ということでS先生、これからも練習と指導お願いします!!

結構話が逸れた気がするのでまとめると自分が陸上を続けている理由として関カレ、全カレに出て恩師との約束を果たし、恩返しをするということ、そして何より自分が陸上競技を大好きなことです。

あんなに陸上に対して「無」だった私を変えてくれた先生のおかげで今では陸上について考えない日がないくらいにまでなりました。

獨協埼玉高校は途中にも書いた通り、スポーツに特に力を入れておらず、IH選手を出すような学校ではないけれど、あののびのびした環境で何も気を負わずに出来る環境は私はとても好きな環境でした!たくさん顧問にも迷惑かけたりしたけれど陸上に対しての想いを変えてくれた獨協埼玉には感謝しています!
息抜きに獨協で後輩たちと練習すると高校時代の色々な思い出が蘇ります。笑
また練習参加させてください!笑

そしてこの場を借りて謝罪します。入学式前、東京6大戦対抗枠に選んでいただいたにも関わらず、卒業旅行熱海でパワプロでオールした結果翌日胃腸炎になり、高校の春合宿も行けなくなり、6大に出れず、先輩方だけでなく高校の顧問や友達にも迷惑をかけるという始末になりました。もう熱海でオールでパワプロはしません。本当にすいませんでした。

今大学で周りの人に恵まれてとても楽しく部活動ができています。フィールドの人はもちろん、短距離にも参加し、こんな私を優しく受け入れてくれるみんなには感謝しかありません!!!
これからも短距離の練習に参加することが多々あると思いますが、一緒に練習お願いします!
こんな実力も実績もない私ですが、大学でも続けると決意したからには高みを目指してまずは7mジャンパーになります。
智、悠太、慶希、翔也 全員で関カレ、全カレ出れるように一緒に頑張ろう!🔥

(八村先輩)

ということで次は獨協埼玉次男坊こと長女競歩パート八村巧馬先輩に回そうと思います!
獨協埼玉3人で回すので獨協埼玉高校をみなさん覚えてください。笑
八村先輩は高校の時から変人です。言い切ります。自分が入学したときは400mをやっていたのに競歩に変えるといきなり関東入賞してました。どーゆーことですか?メニュー中、ファイト!と応援すると何故かこちらにロックオンして近づいてきて抱きついてきます。高校から変わってません。みなさんくれぐれも気をつけて下さいね!
では、八村先輩の日記お楽しみに〜