2025/12/19「12月ですがはじめまして!!」

こんにちは。大西未来さんから引き継ぎました、長距離女子競歩パート1年の大塚彩世(おおつかあやせ)です。

まず、福田監督をはじめ、紫聖会の皆様、日頃より立教大学陸上競技部をご支援してくださっている皆さまに感謝申し上げます。これからもよろしくお願いいたします。同じパートで2つ先輩の未来さんは、一緒にいると自然と元気をもらえる太陽みたいな方です。真夏の灼熱の太陽ではなくて、春のあたたかい日差しみたいなイメージです。誰とでも壁を作らずに、すぐに仲良くなれる未来さんのことを尊敬していますし、長女パートのムードメーカー的存在です。なぜか未来さんには何でも言うことができて、いつも人生3周目くらいのアドバイスをしてくださって、本当に大好きな先輩です。これからもよろしくお願いします♪

高校生の時には何度かこの部員日記を読んでいましたが、今は自分がそれを書く立場になっていると思うと、感慨深い気持ちになります。もし受験生でこの部員日記を読んでくれている人がいたら、あともう少し、受験勉強頑張ってください。立教大学陸上部で待っています!

写真左:長距離女子・競歩パート1年 大塚  写真右:3年 大西


はじめてなので簡単に自己紹介から!
名前 大塚彩世(おおつかあやせ)
出身 新潟県十日町市
学部 スポーツウエルネス学部スポーツウエルネス学科
種目 1500m~

何を書こうか迷っているときに、同じパートの凜依奈がリクエストをくれたので地元トークから始めたいと思います。私の出身は新潟県の十日町市というところで、とにかくたくさん雪が降ります。あまりにも雪が多いので、桜が咲いているのにグラウンドには雪が残っているなんていう年もありました。小学生の時は、近所の友達と雪山で鬼ごっこをしていて、翌週くらいに地域の方から連絡をもらった先生に呼び出されて、みんなで一緒に怒られたこともありました。きっと皆さんが想像する5倍くらいは高くて大きい雪山なので、怒られるのも無理はないです。危ないので雪山では遊ぶことはおすすめしません。冬は除雪に追われて生活するのも大変な地域ですが、その雪解け水を利用したお米やお蕎麦、着物が有名でとっても自然豊かなところです。お酒も有名なので、もし機会があったら飲んでみてください!

地元トークはここまでにして、ここからは陸上についても書いていきたいと思います。私が陸上をはじめたのは小学1年生の時です。自分からやりたいと言った記憶はないのできっと陸上をしていた家族の影響で私の陸上人生は始まったのだと思います。地域の陸上クラブと小学校のスキークラブで、楽しみながら走っていました。冬は雪で走ることができないため、夏は走って冬はスキーをするという小学校時代でした。3年生くらいからはそこに水泳も加わってたくさん運動をしていました。幼少期の私は、やってみる?聞かれたらとりあえず、やる!と言って結局やらせてもらっていたので、いろいろな経験をさせてくれた、両親を含め周りの人には感謝の気持ちでいっぱいです。陸上よりも前にはじめたピアノも、高校3年生まで続けさせてもらって、今は陸上と同じくらいにピアノが大好きです。

小さなころから、ピアノを弾いたり聞いたりすることは嫌いになることがありませんでしたが、陸上やスキー関しては違いました。小学校の低学年の時は練習に行きたくなくて駄々をこねてしまうこともあり、でも行ってみると楽しくて、いつも笑って家に帰ることの繰り返しでした。アットホームな雰囲気で、楽しむことを教えてくれた当時のコーチのおかげで、私は今も競技を続けられていると思います。小学校6年生になると初めて駅伝を経験しました。それまで特に何も考えずただただ走っていましたが、もっと速くなりたいという気持ちを持つようになり、今振り返ると、そこから陸上に対して前向きになっていったのではないかなと思っています。
中学生になるとスキーはせずに陸上だけになっていきました。中学時代は、3年間毎年顧問の先生が変わり、部員の数も多かったので、たくさんの人に出会いながら陸上を続けていました。すべて書くと長くなってしまいそうなので、ここでは割愛します。中学時代もありがたいことにたくさんの経験をさせてもらいました。
高校時代は、公立高校でしたが、男女で一緒に都大路に行くことができたり、そのほかいろいろな大会に出場させてもらったりして、とても充実していました。陸上と勉強しかしていない高校生活です。怪我がとても多くて、苦しい3年間でしたが、何よりも私にとってしんどかったことは、冬の朝練習です。除雪されていない雪の道を、どんな天気でも毎日走っていました。とにかく寒いですし、雪が多すぎてスピードは出ません。靴はすぐに濡れてしまいますし、少しでも意識をそらしたら、滑って転んでしまいます。かといってずっと室内で走っているわけにもいかないので毎日外で走っていました。もうあの朝練は遠慮しておきます。高校時代は3年間同じ顧問の先生に見ていただきました。長距離の男女をずっと1人で見てくださって、すごくお世話になりました。京都までバスを運転してくださり、冬場には、雪がないところで練習するために毎週どこかに連れて行ってもらっていました。高校時代は満足のいく結果を残すことができなかったので、顧問の先生に良い報告をするためにも、頑張りたいところです。もっともっとたくさんのことがありましたがこの辺で。


次はやっと大学陸上です。どうして大学でも続けているかも含め、少しここでも高校時代のことについて触れます。私は、高校3年生の駅伝シーズン前に部活を引退しました。走ることが大好きで、駅伝まで続けたい気持ちもたくさんありましたが、たくさん悩んで陸上から離れることにしました。この決断は自分にとって、とても大きな決断でしたが、後悔はしてないですし、それでよかったと思っています。駅伝をしていたとしても今頃同じことを言ってそうですが、ここでは置いておきます。引退をした直後は、大学で続けるつもりはほとんどなく、やるとしても趣味で少し走る程度だろうと思っていました。それもそのはず、高校ラストのシーズンは怪我に悩まされて、もう走りたくないと思ってしまっていたからです。最後の地区大会前に怪我をしてしまい、痛みを抱えたまま最後のシーズンを終えました。痛み止めを飲んでの生活で、好きなはずの陸上も正直全然楽しくなかったですし、何のために陸上をやっていたのかもわからなくなっていました。受験勉強をしっかりとやるようになった最初の方は、グラウンドで練習しているみんなのことを見ることもできなかったですが、数か月たって足が治ると、私はすぐに走り始めていました。あんなにもうやりたくないと思っていたのに、やっぱり走ってしまうのは、すごく自分らしいです。勉強をしながらまあまあ走っていました。自分にとって受験期は、受験勉強の時間でもありましたが、自分が走ることが大好きなのだと実感する期間でもありました。この期間で、また陸上をしたいと思うことができたので、休んでよかったなと思っています。もし、あの時の決断が真逆だったら、自分はきっと今は立教大学にもいないですし、陸上も続けていないと思います。大学生になってから出会った人の誰とも知り合いではなかったと思うと、本当にこの道を選んでよかったなと思います。このとおり、私は走ることが大好きなので陸上を続けています。もちろん、大きな大会に出ることやベストを出すことも目標ですが、1番は走りたいから走っています。そして、やるからにはしっかりと競技に向き合いたいと思っています。頑張ります。こんな理由で陸上をつづけている私のことを迎え入れてくださっている長女のみなさんは、知れば知るほど奥が深い人ばかりです。私がはじめて会った長女の先輩は4年生の胡桃さんでした。志木駅から大学まで一緒に行ってくださって、初対面とは思えないほどたくさんお話ししながら歩いたことを、すごく覚えています。優しすぎて、最初だけなのではないかと逆に怖くなりましたが、それが胡桃さんの人柄なのだなと思います。そんな胡桃さんですが、週末の試合が引退レースになるそうです。心から応援しています。頑張ってください!!


長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


次に日記を書いてくれるのは、フィールドパート1年の吉田智です。彼はとにかくずっと話しています。話すのが大好きな智ですが、聞き上手でもあります。たまに辛辣なことを言ってきますが、たいていは優しくて、文句を言いながらも最後は真面目にいつも全部頑張っています。特に内容のないことでも言い合える最高の友達なので、これからも仲良くしてください。写真が1枚もなかったので、このために撮った写真を!

写真左:フィールドパート1年 吉田智

次回の部員日記もお楽しみに!