2025/1/13 西尾有紀哉「夢の”対談”⁈ 〜ME:I〜」

ゼミ合宿でのひとコマ(遊馬、西尾)

 遊馬淳から引き継いだ中距離4年西尾有紀哉です。夢を実現してさらに大きな夢へと突き進んでいく彼からは幾度となく刺激をもらっています。自分も頑張らないといけません。口だけじゃなくて行動で示したいと思います。

 はじめに、紫聖会・監督をはじめとする皆様方に心より感謝申し上げます。日頃より度重なるご支援賜りまして誠にありがとうございます。本年も引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。

 さて、改めまして西尾です。名前は聞いたことがない方でも、「冬も半袖短パンでいる人」と言われたらわかっていただけると思います。どうぞ最後までお付き合いください。
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4年 中距離パート 西尾有紀哉

 社会学部メディア社会学科4年、立教新座中高出身で生粋の立教健児。趣味は家庭菜園とおいしいごはんをたべること。そんな彼だが、高校までの6年間は陸上競技ではなく別の部活に打ち込んでいたというのだから驚きだ。

「そうですね。中高6年間はフェンシング部でエペという種目をやってました。最高成績は埼玉県3位、JOC(全国大会)で17位です。中途半端(笑)。網膜に穴が開いて失明しかけるという怪我がありながらも、それを乗り越えてどうにか最後までやり遂げました」

 大学で部活を変えようと思ったのは、「フェンシングはやり切ったと感じていて、せっかくだし大学では何か新しいスポーツに挑戦したいと思った」ことがきっかけだった。

 ラクロスやアーチェリーといった大学から始められる競技もあった中で陸上競技を選んだのは、当時の先輩がきっかけだったと笑顔で振り返る。

「体験に行った競技はいくつかあったんですけど、最終的な決め手は“人”でした。当時の中距離のパートチーフだったY先輩がすごく素敵な人だったんです。女性の方だったんですけど、きれいでかわいくて……」

「もちろんそれだけじゃないですよ! 今どんな部活と迷っているのかといったことから授業のことまで、入部前なのに親身に相談に乗ってくださったその人柄に惹かれて。それが決め手となりました。もちろん、『走ることが好きな自分がどこまで速くなれるのか』という己の限界に挑戦したいという思いもありましたし、それは今でも変わってないです」

 フェンシングから陸上という大胆な挑戦をしている彼に4年間の競技生活を振り返ってもらうと、その口からは立教大学体育会陸上競技部の良さやその思いについての言葉が多く飛び出してきた。

「どうしても陸上は個人競技と思われがちですが、僕は違うと思うんです。なぜかというと、記録会や大会といった“アウトプット”は個人で行いますが、練習という“インプット”の場はみんなで協力しながら行っていくからです。一緒に練習して『先にたれるものか』と踏ん張ったり、声掛けをしながら支え合ったり、競って力を出し切ったり。それって、一人では絶対できないんですよ。誰かがいるからこそできる」

「特にうちの部活には指導者がいないため、練習が個々人に任されている。だからこそチーム一体となって選手主体で切磋琢磨できる環境がある。自分自身何度も仲間に助けられてきました。最高の環境ですね。この雰囲気を培ってきてくださった過去105年の先輩方、今いる同期・後輩、皆に感謝したいです。ね、陸上って“チームスポーツ”だと思いませんか?」

 そう問いかける青年の顔には笑顔が浮かぶ。続けて彼は、部活に存在する“ある文化”について語り始めた。

「うちの部では、トラックで練習している選手に対して『ファイト』『がんば~』と声かけして応援する文化があります。それが素敵だなぁと思うんです。自分が入部したての頃、見ず知らずの他パートの先輩が自分に対して熱く声かけをしてくれたことが何回もありました。すごくないですか? そのおかげで『頑張らなきゃ』と思えてきつい練習を乗り越えられたことが多くありましたし、いまでもみんなの声掛けが力になってます」

「この部活に入ったことで、誰かの応援が力になるということを身をもって感じました。なので自分も練習している選手には積極的に声かけをするようにしています。言葉で表現するのは難しいんですけど、こうした小さなところからも陸上部としての一体感を感じられて。そしてだからこそ陸上は個人競技ではないんだと感じるんです」

 一度行くと決めた道は突き進むタイプの22歳。応援の力と、一緒に練習をしてくれた先輩・後輩のおかげで、800mの自己ベストは2’19”75から1’58”81まで短縮している。

 ただ、成長したのはタイムだけではない。西尾は「大学から始めた陸上競技は足が速くなるということ以上に多くの収穫があった」と熱く語る。

「4年間で学んだことは、なんといっても“立教大学陸上競技部は走るだけの場所ではない”ということですね。例えば、誰かが怪我をして練習で不安そうな表情を浮かべていた時、それに気づいて声かけをする選手がいる。それってすごく素敵な環境だと思いうんです。自分自身もきつかった時に後輩に話を聞いてもらえたことがあって。それですごく心が軽くなりました。恥ずかしながら僕は自分のことだけを考えて行動しがちだったのですが、それ以来、自分も誰かの助けになれるように頑張っていきたいと思うようになりました」

「思い返せば、自分が入部を決めたのも人柄がきっかけです。ほんとに、素敵な人がたくさんいる。だからこそ走るだけでなく、人間性が培える、人として成長させてくれる場所。それが立教大学体育会陸上競技部なのだと感じました」

 偉そうに語っているが、そのことに気づいたのはわずか半年前のことだ。なおも続ける。

「大学って、4年生が最高学年になる“特殊な空間”なんです。社会に出れば、先輩や上司がいないなんてことはない。4年で最高位に上りつめられるって異様な場ですよ(笑)。でも、だからこそ苦労する。僕は競技の成績で引っ張っていけるタイプではないので、後輩が入ってきたときに上級生としてどう振る舞うのか悩みました。たどり着いた答えは、『競技だけが全てじゃない』ということです。自分がお世話になってきた先輩・後輩のように、周囲に気配りができて困っている人に手を差し伸べてあげられる人になりたい。悲しいことに、社会に出たら足が速いことは何のステータスにもなりません。実業団は別ですが。だからこそ、人として成長する必要がある。そう強く感じました。そう思わせてくれたこの部活、これまでお世話になってきた方々に感謝したいです」

 感謝の言葉を口にしたあと、最後に一言。

「偉そうに書いてきましたが、僕がそれを実際にできてきたかどうか、人として成長できたのかどうかはわかりません。でも、少なくともそう思うことはできました。だからこそこれから先も、この思いを大切に精進していきたいです。いや、いきます!」

 よどみなく言い切った彼は、2月から留学を控えており、2025年に大学“5”年目を迎えることになる。4年で終われなかった分、今年を無駄にすることはできない。決意を胸に、突き進め。
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 次は前キャプテンの牧野海音和に回したいと思います。立教で1番歩くのが速い彼はどんな記事を書いてくれるのでしょうか。楽しみです。

左から牧野、遊馬、西尾

 ご清覧ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。