2024/9/30 塚原潤「人生山あり山あり」

1年 中距離パート 塚原潤

こんにちは。松山から引き継ぎました中距離1年の塚原です。私は彼のことを勝手に「松」とあだ名をつけて呼んでいます。彼は私が立教大学陸上部に所属してから最初に仲良くしてくれた先輩です。多少寡黙な彼は私と共鳴できる部分が沢山あるのではないかと感じています。どこか不思議な彼ですが練習に対する真剣な姿勢とのギャップに惚れてしまいます♡

簡単に自己紹介。

名前:塚原潤

生年月日:2004年10月26日

出身:埼玉県さいたま市・越谷西高校

学部学科専修:文学部文学科英米文学専修

好きな音楽:Official髭男dism、サザンオールスターズ、あいみょん、カネコアヤノ

好きなこと:寝ること、食べること

後述しますが私は受験を2度経験しているため2004年世代ですが1年生です。私の好きなサザンオールスターズの「東京VICTORY」という曲に何度も励まされています。2度目の受験の最終日には高田馬場駅でこの曲を聴きながら、受験が終わった安堵とともに1人でボロボロ泣いていました。好きな曲は飽きるまでリピートします。いや、飽きてもリピートします。文学部なのに漫画の文字すら苦手でほとんど読みません。アニメもじっとして見ていられないのでほぼ見ません。いつも話のネタに困ります。オススメがあったらぜひ!!

休日やフリーの時は昼寝をして1日が終わります。とにかく昼寝が大好きです!!

文章を書くのが苦手です。いま画面とにらめっこしています…。

せっかくなので私のこれまでを振り返る機会としようと思います。

私はサッカー、水泳、ピアノを習い事としてやらせてもらいましたが全て途中でやめました。スポーツも苦手、何かを続けることも苦手でした。小学4年生のとき地元の友達がたまたま入っていた陸上クラブで競技を始めました。(このときの三笠雄大との出会いが今、私が立教大学に所属することに繋がります。)とはいえ、“努力”という文字を知らなかった私は中学生でも県大会にも出場することはありませんでした。一方であれほどはちゃめちゃに遊んでいたあの三笠が全国大会や大きな大会で活躍しているのを見て、私も陸上で成功することに憧れました。勉強をまともにしてこなかった私は自由に高校を選ぶことは出来ず家から近い越谷西高校に通うことになります。

写真右

コロナとともに始まった高校生活は夏から部活が始まるも、やる気のあまり疲労骨折をして6ヶ月無駄にしたりするも何とか高2の新人戦では目標だった800mの2分切り、人生初の県大会で準決勝で走ることが出来ました。この成功体験は自信に繋がりました。(このとき県大会の準決勝で三笠と走れたことは思い出です♡。)私の高校は4×400mリレーに力を入れていて寄せ集めメンバーと言われながら関東大会出場を達成していました。私はこのときメンバーに入ることができませんでしたが、翌年の総体では補欠であろうとメンバーに入って関東大会やインターハイを経験してみたいと思いました。もちろん個人の800mでも目指しました。しかし翌年の春の総体は調子が上がらず県大会で酷い走りをしたため、リレーのメンバーにも入ることは出来ませんでした。さらにリレーはインターハイ出場まで達成をしました。チームとしては喜ぶべき出来事でしたがとても複雑な気持ちでした。私は人生で初めて大きな挫折を経験しました。切り詰めていた生活を全て無駄にした絶望感で溢れて、私はこのままでは終わることが出来ないと思い受験を志すことになります。

受験が盛んではない高校で、私も勉強には力を入れたことがありませんでした。勉強の方法、受験のシステムや“浪人”という言葉も知らず右左も何も分からないのに夏から勉強を始めました。立教新座高校の“立教”が大学を指していることすらその時初めて知りました。三笠を追いかけて立教大学を目指しました。陸上で培った根性を頼りに全力を尽くしたものの案の定滑り止めと思っていた大学も落ちてしまいました。練習のために受けた大学だけが唯一の合格でした。またもここで挫折を味わいます。毎日思い出しては絶望感とともに泣いていました。卒業式や仲間との別れもどうでも良くなるくらい地獄のような日々でした。人生で1番泣いていたと思います。進学するか浪人するか悩みましたが、私は諦めることができず、ありとあらゆる友達に相談をして浪人することを決めました。早朝バイトで働いた後は夜まで図書館で勉強する毎日を淡々と過ごしました。予備校も行かなかったので孤独と戦っていました。勉強が効率的になり力がついてきたり、知識を頭に突っ込むことで快感を感じていたこともありました。単純すぎる日々なので、家の前の階段で転んで腕が血だらけになったり、インフルエンザになった時でさえ1日に起伏ができて喜んでました。辛くはありましたが、その辛さを楽しんでいました。ストレスの発散先が食べることしかなかったため、一日中勉強をすることの引き換えに朝ごはんからお菓子を食べていたことも…。(酷すぎる。)両親が「どこでもいいから大学にいってくれ」というスタンスで遠くから見守ってくれたおかげでストレスなく、苦労はあったものの最後まで楽しみながら勉強をして無事に立教大学文学部に合格できました。初めて大きな成功をすることができて本当に嬉しかったです。

(そろそろ締めに入りたい…)

私は高校の恩師の「何事もちゃんとやれ」という言葉を肝に銘じています。「すべての道はローマに通ず」に似ていると思います。小さなことや目標達成に関係ないと思うようなことも妥協せず100%でやりきった上での失敗は挫折は味わうものの後悔は残りません。総体で失敗した時や1度目の受験の時も後悔はありませんでした。2度目の受験が失敗したとしても後悔はないと思っていました。また、当たり前のことを当たり前にやることは簡単なようで難しいことです。しかし恩師の言葉があったおかげで浪人生活では1年間自分を律し続けることが出来ました。つまり(?)結果を追い求めることも大事ですがその過程も大事であるということです。月並みなことかもしれませんが、大きな失敗を経験してこのことを何度も感じました。

私は陸上でも受験でも大きな失敗を経験できて良かったと思っています。あの時の失敗が原動力となり私の人生を変えてくれたからです。三笠との出会いも私の人生を変えてくれました。(ずっと憧れだよはーと)まさに「すべての道はローマに通ず」ですね。(強引)

やっと締めに入りますが、今は全国大会に出るような恐ろしく速い先輩方や練習を心から楽しんでいる仲間に囲まれて陸上競技ができて幸せです。毎日学んでばかりです。何年か前の自分には想像出来ません。いつか大きな大会で選手紹介される日を夢みて走っていきます。中距離パートが陸上部の顔となれるように私も頑張ります。

次回は短距離パートの戸梶くんにお願いしました。彼はなにかと共通点がおおく、本音で話し合える仲です。十種競技をする予定だそうです。3年後にはムチムチな戸梶が見られると思うと楽しみですよね!!彼が真剣に練習しているのを見て私も負けていられないなと思います。ヘンテコな部分を持ちつつイケメンな彼は謎が多いです。彼について知りたい人もいるのではないでしょうか。戸梶さん頼みました♡

長くなりました。拙い文章となりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。

以上です。

写真中央