2024/8/16 黒丸朝日「わたしの原動力!!!」

2年 黒丸朝日 短距離パート 右から2番目

四年生の河田さんから日記を引き継ぎました、経営学部経営学科短距離パート2年の黒丸朝日です。
自分は部活内ではフラフラ生きているので部員日記は回ってくるのが遅いだろうと気を抜いていました。なのでこんなにも早く回ってきたこと、そして大大大尊敬、憧れの河田さんから回して頂けた事にプチパニック中です。
河田さんは初めてお会いした時にそのビジュアルからアイドルがいる!と目を奪われましたが、走りを見た瞬間足の速いアイドルであることが発覚し怯えたのを覚えています。
走りのフォームが綺麗で、足が速いことだけでも大尊敬なのですが、その裏側には走りに対して真剣に向き合い、ストイックな取り組みがあってこそのものだと知った時、憧れの存在に変わりました(^^)一年生の頃は憧れの存在すぎてなかなか話しかけられなかったのですが、最近になって沢山関わることができてとても嬉しいです。笑 陸上のことも、それ以外のお話もたくさん聞かせてください!!

さて、本文に移らせて頂きたいと存じますが、無名な選手であるため軽く自己紹介をさせて頂きます。( ; ; )

名前:黒丸朝日
学部学科:経営学部経営学科
種目:100m、200m
出身:秋田
出身校:常盤木学園高等学校
所属:陸上競技部、経営学部石川ゼミ
好きな食べ物:炭水化物
Mbti:冒険家(isfp)、多分
趣味:音楽をきくこと、セルフネイル

この日記は帰省の帰りの新幹線の中で書いています。何を書いたら良いか全然考えていませんが、ちょうど高校時代の恩師に会ってきたばかりなので、私の高校時代から少し振り返って書こうと思います。
私は宮城県の常盤木学園高等学校(以下常盤木と記載します)で高校3年間を過ごしました。出身は秋田県で、中学までは秋田県の公立中学校で陸上を頑張っていましたが、いろいろなご縁があり仙台にある常盤木に進学することを決め、一人暮らし生活が始まりました。
常盤木は全国大会の常連校であり、SNSや恋愛が禁止など厳しい部活だというのは聞いていました。せっかくのJKライフなんだからもう少し緩いところで、、という気持ちも若干ありましたが、Youtubeに載っていた常盤木のリレーの動画を見た瞬間、そのような気持ちは無くなりました。せっかくやるなら東北で一番強い高校で、リレメンとして活躍したい。ここならインターハイの決勝の舞台に立てる。と勝手に根拠のない自信と期待へと変わりました。

入学してみると、練習量はそこまで多くないものの、メニュー1本1本の質が高く、毎日が試合のようなスピード感と緊張感のある練習の雰囲気に圧倒されました。また学年関係なく競ったり、アドバイスし合うことのできる環境は競技面で大きく成長させてくれました。中学時代は100mしか走ることができなかった私でしたが、マイルの選手に選んでいただけるほど競技の幅も広がり、体力がついたことで専門である100m、200mも走るたびに自己ベストを更新していきました。それだけでなく、「人間力の向上が競技力の向上につながる」「みんなで強くなる」といった常盤木の方針から練習以外の部分でも沢山学ぶことがありました。選手である前に人としてどうあるべきか、先生や仲間とのコミュニケーションの取り方、チームとして強くなるためにどうマネジメントできるか、など常盤木だからこそ考えさせられ、経験することができたことがあったと思います。その中で戸惑いや苦悩もあり、楽しいことだけではありませんでしたが、人として変わることができ、競技面でも人としても成長できた3年間だったと感じています。
高校時代の主な戦績としてインターハイで2年次に400mR 7位、1600mRで3位、3年次に1600mRで6位に入賞しました。これらは大好きな先輩方や同期、後輩達と残すことができた結果であり、とても誇りに思っています。しかし、個人では3年生の時に東北総体で8位と、インターハイに進むことができませんでした。3年生の時は部長であるプレッシャーから原因不明の怪我もあり、正直走るのが苦痛でした。自分のことよりもチームのことを優先的に考える癖がついてしまい、自分のことは後回しでした。そのようなこともあり、最後のインターハイで引退を決めていました。しかし、最後のインターハイの決勝の舞台を走り終えた時、陸上が好きだという気持ちと、どこか悔しい気持ちが溢れてきました。引退を宣言した後でしたが、練習参加を継続し、志望校も急遽立教大学へ変更しました。ここで陸上が好きだと気づけたこと、陸上を続けると決断できたことが本当に大きく、今の自分につながっていると感じています。

大学に入って約一年半経ちますが、自己ベストを更新することができておらず、非常にもどかしい日々が続いています。
私の在籍する経営学部は忙しい学部であるため、正直両立は大変です。またゼミにも所属しているため、毎日疲労困憊の日々を送っています。しかし私が今こうやって頑張ることができているのは陸上を続けているからです。「?」ですよね。笑 なぜかというと陸上が私の全行動の原動力の軸となっているからです。
大学1年目の昨シーズンは関東インカレ100m予選敗退・200m棄権、関東新人100m・200m準決勝敗退と、悔しい結果に終わってしまいましたが、悔しさを糧に冬季練に取り組みました。2月の時点で例年より動きが良かったので今シーズンこそはいける!と思っていましたが、今シーズン2戦目、4月の東京六大学対抗戦の数日前に怪我をしました。その後回復が長引き、思い切り走れない日々が2ヶ月ほど続きました。ちょうど学部の授業とゼミが忙しい期間だったので少し休むのにちょうどいいと思われましたが、走れないことで頑張る原動力が失われてしまい、全てのことが中途半端になってしまいました。またライバルである大好きな町田がUBを更新したことで嬉しかったものの、焦る気持ちを抑えることが出来ませんでした。どこか勉強が忙しいことを言い訳にしていた自分を見て見ぬふりをしていましたが、大好きな陸上に対して中途半端である自分の現状を認めたとき、このままじゃダメだと目が覚めました。実際言い訳に使っていた学業の方も走ることのできないストレスから疎かにしてしまいましたしね、、笑 そこからはリハビリとできる練習方法、内容をしっかり考え、陸上に対して真摯に向き合いました。また陸上にもう一度きちんと向き合えるようになったおかげで疎かにしてしまっていた学業のほうも手を抜かず取り組めるようになりました。
復帰戦は明立戦と決めており、お医者さんからスパイクを履いていいよと言われてから二週間ほどしかありませんでしたが、自分の中での合格最低ラインの走りで復帰戦を怪我の再発なく走り終えることができました。
精神的にもそしてスケジュール的にも大変な2年春学期をよく乗り越えたなと自分でも思います。笑 ただ改めて陸上が私の原動力の大きな軸であると再確認することができたので良かったです。

「大学生なんだから部活をしてないで遊べばいいのに」「大学になってまでよく走るね」と言われることは少なくありません。確かに人生の夏休みと表現される大学生活は遊んでなんぼと考える人が多いのかもしれません。ただ、私の場合、走ることが大好きで、走ることが私の生きる全ての原動力になっているため、何がなんでも生活から切り離すことができないのです。
また、私が頑張れるのは常に支えてくれるたくさんの人がいるからだと思います。
陸上を頑張っていることを否定せず、むしろ応援してくれる学部やゼミの友達。学部やゼミが忙しいことを理解し、切磋琢磨しながら「無理はするな!」と声をかけてくれる陸上部の仲間。連絡をするたびにアドバイスをくれたり、仙台に帰る度に元気をくれる高校の恩師や常盤木のみんな。そして何より部活も勉強もどっちも頑張る!と決めたことを応援し、常にさまざまな面でサポートしてくれる家族がいるから頑張ることができます。関わってくださり、支えてくれている全ての皆様に感謝の気持ちを伝えたいです。特に一番多忙を極めていた6月に何度も秋田から埼玉まで車を走らせて会いにきてくれた母には頭が上がりません。ありがとう。
たくさんの人に支えてもらっているからこそ、自己ベスト更新や大きな舞台での活躍といった結果で恩返しをしたいものです。
大学に入学してから、高校の頃のように走ることはできておらず、自己ベストも更新できていませんが、大学在学中に安定して11秒台で走ることのできるスプリンターとなり、個人で関東、そして全国の決勝の舞台で活躍することで恩返しをしたいです。また立教大学の女子リレーチームが関東インカレの決勝の舞台や全日本インカレの舞台で戦えるようなチームになれるよう尽力して参りたいと思います。

ささっと書いて終わろうと思ったのですが、思ったよりも長くなってしまいました汗 まとめると陸上が好きで、陸上が私の原動力だということです笑
皆さんの原動力はなんですか?ぜひ教えてください(^^)

次の部員日記は同期の塩味奏来にお願いしました!5、6回お願いしてようやく引き受けてくれました(◜ᴗ◝ )
しおみそらは100mから400mまで全て走れて、個人種目はもちろん、四継からマイルまでチームの主力として活躍しちゃうバケモノです!また走りのフォームがとっても綺麗で400mまで走ってもそのフォームが崩れないので、同期ではありますがとても尊敬しています(◜ᴗ◝ )おとなしい人なのかと思いきや、ノリがよく、ふいに出る一言が面白いので絡むととっても楽しいです(笑)日記も何を書いてくれるのかとってもたのしみですネ!もっと沢山話そうね⊂( ᴖ ᴖ)⊃ ⊂(ᴖ ᴖ )⊃