2024/7/26 紙﨑柊斗「諦めなきゃ終わらない」

1年 紙﨑柊斗 短距離パート

はじめまして。フィールドパートの前田日向先輩から部員日記を引き継ぎました、短距離パート1年の紙﨑柊斗です。前田先輩とは狭山ヶ丘高校で出会いました。先輩はとてもやさしく、練習中時々話しかけてくれたり、練習には一生懸命で、引退後も何度か部活に顔を出しに来てくれた素晴らしい先輩です。高校入学時の自分は走り幅跳び・4×100mR・4×400mRの三種目を完璧にこなす前田先輩に驚かされました。県総大4×100mR準決勝で2走を走る前田先輩が3走にバトンを渡す際届かないことがわかり、何としてでも渡そうとして転びながらもバトンをつなぎ、体のあちこちに擦り傷を負って帰ってきた姿はとても印象に残っています。決勝戦出場・関東大会出場(決勝戦では5着で無事関東大会出場を決めていました!)を目指し本気で走る先輩はかっこよかったです。そんな前田先輩が自分に引き継いでくれて、こんなに早く回ってきたことに驚きはありつつも、うれしく思います。絶賛肉離れ中なので今度一緒に狭山ヶ丘式体感サーキットをやりましょう。ここらで本題に入ろうと思います。自分は文章を書くことが非常に苦手でなので所々変な箇所もあると思いますが、温かい目で最後まで読んでいただけると幸いです。

特に話のネタはないので、自分の7年目になる陸上人生について話していこうと思います。自分が陸上を始めたのは中学1年生の時でした。兄の影響もあり中学に上がり陸上部に入部しました。中学時代は全く速くなく、市予選でも予選1本走って終わりでした。それに膝の皿の剥離骨折やその他多くの怪我に悩まされ周りのみんなは速くなり自分だけが何もできなかったり、復帰してもタイムは伸びなかったり、今思えば特に何も考えずにただただ練習しているだけの中学時代でした。このころは陸上に対しこれといった目標はなく、あまり楽しめていませんでしたが高校でもとりあえず陸上をやろうという感じでした。ある先輩に誘われ狭山ヶ丘高校に入学し、自分の高校陸上が幕を開けました。最初の頃はいい感じにベストを更新していき、高校に入学してから約3ヶ月で中学時代の自己ベストを約1秒更新できました。そこでより陸上が楽しくなったような気がしてもっと練習に励むようになりました。しかしすぐ記録は伸びなくなりました。記録が伸びなくなった理由は中学と同じような理由だとすぐにわかりました。ただ出されたメニューを一生懸命にこなすことです。一生懸命頑張ることは当たり前で、それにプラスして自身で思考し行うことができなければなりません。ですが自分は動きづくりや流しの1本特に考えることなく行っていました。そんな時に腰の怪我が重なりまた練習ができない時期が続きました。そこで自分を見つめなおすいい機会になるとポジティブにとらえ自身の見直しを図りました。今できることを常に考え動きづくりやウエイトトレーニングに励みました。自分でトレーニングのメニューを組んでみたり、動きづくりの流れを考えて組んでみたり、顧問の先生に意見を求めてみたり、様々なことを自分で考え行動しました。そうすると自然に競技力も向上し、自分についてより詳しくなり、陸上はもちろん色々なメニューを調べること、行うことが楽しくなっていました。その頃は200mにも挑戦し、ベストが出たり初めてのマイルリレーにも挑戦したりとすごく順調に進んでいました。来シーズンこそ10秒台を出すと意気込んで迎えた高校最後の冬季練習。自分にとってはしっかりと冬季練習を行うことは初めてだったと思います。狭山ヶ丘高校の厳しい冬季練習を耐え、練習での調子もものすごくよく、はやく初戦を迎えたいと思っていた矢先、また大きな壁が立ちはだかりました。学総直前に左ハムストリングスを肉離れしてしまいました。整骨院の方には軽度なものだから2~3週間まずは安静にしようといわれ、その期間は今できることを考えてひたすらやりました。2~3週間たった時点で、普通に生活しているとほとんど痛みはなく練習を再開しましたが、最後の学総直前だったこともあり、自身の中にだんだんと焦りが出始めていきました。ちょっとの痛みなら我慢してしまったり、スピードを上げすぎたり、そんなことをしていると完全に治ることなく学総を迎えてしまいました。自分は200mに出場しました。練習をしっかり積めていないこと、ハムのことなど多くの不安が残るままのレースになりました。結果はやはりひどいものでレースの内容も最悪でした。なぜいつもこうもうまくいかないのか、あんなに頑張ってきたのに、やっぱり自分には無理なのか、などいろいろな感情がこみ上げてきました。その時は正直なところ少し陸上を辞めたいとも思ってしまいました。ですがレース後顧問の先生と話す機会がありこんな言葉をかけてくれました。「俺も悔しい。あんなにやってた紙﨑がこんなところで終わるのは俺も悔しいよ。だからまた一緒に頑張ろう。」この言葉を聞いたとき、陸上に対する目標を少しでもあきらめかけた自分に情けない気持ちでいっぱいになりました。自分を応援してくれたり、一緒に悔しがってくれたり、協力してくれる人がいるのに自分で決めた目標すら諦めるのはダサすぎると思いました。この一件が、自分が陸上に対しまた熱い気持ちを持って取り組むきっかけとなる良い機会になりました。そこからはやれること^_^はすべてやり自己ベストを何度か更新し、引退を引き延ばして目標は達成まで来ませんでしたが、いい結果を残せたと思います。自分がここまで陸上が楽しく、陸上に対して熱くなれたのは高校の顧問の先生の存在が大きいです。先生の休みがなくなるのではないかと思うくらい休日は練習をさせてもらったし、連絡してアドバイスをもらったり、メニューを考えてもらったり、沢山のことをしてもらいました。そんな顧問の先生に少しでもいい記録を出して感謝を伝えようと最後まで頑張りました。(少しでもできていたらいいと思います。)

これを読んでいる皆さんの周りにもいると思います。自分のことのように喜んでくれたり、悔しがってくれたり、応援してくれたり、協力してくれる人が。陸上競技は何があるかわかりません。毎回調子がいいわけではないので思うようにいかないことの方が多いし、怪我をしてしまうことだってあるかもしれません。陸上は一瞬にして数字に結果が出てしまう残酷な競技でもあると思います。しかし少しでも挫折してしまいそうな時には自分の周りの人のことを思い浮かべて、モチベーションにつなげるといいと思います。それにほとんどの人には目標があり、それに向かって日々努力していると思います。自分で決めた目標は何が何でもやり遂げるべきです。なので、やや上からになりますが、これを読む人たちにはどんなことがあっても自分のために、支えてくれる人のために、最後までやり遂げてほしいです。

ここまで書いてきた通り自分の陸上人生のほとんどは怪我によって邪魔されてきました。現在も右ハムを肉離れしてしまいました。しかしこのように7年間陸上を続けられているのは多くの人の支えがあったからこそです。その人たちにいつまで続くかわからない残りの陸上人生をかけ全力で恩返しをしようと思います。この先にどんな壁が立ちはだかってもくじけることなく駆け抜けます。まずは今まで目標にしてきて達成できていない「10秒台」これを達成します。なるべくはやく今までの恩人に10秒台の報告ができたらいいなと思います。「諦めなきゃ終わらない」一見当たり前のように聞こえるこの言葉。自分が諦めさえしなければ目標への道は続いていく。多くの人の支えとこの言葉に何度も救われました。これからも「自分には陸上しかない。」これくらいの熱意をもって陸上に励みたいと思います。

だらだらと書いてしまいましたが、次回の部員日記はサポーターパート唯一の男子、1年の蓮見光洋君にお願いしようと思います。頼んだ時には「なんで俺なん、はやいて」と言っていましたがにやにやしながら言っていたので、内心うれしかったのでしょう。部活では、小4から続けていた野球で磨いた声量とガッツで選手たちの練習を全力サポートしてくれて、キャンパスで会うと「おすおす~!」とあいさつを交わしてくれる明るい光洋君がどんな日記を書いてくれるのか非常に楽しみです。皆さんも楽しみにお待ちください!

現在、肉離れで走れない間の1日のメニューをまとめたりする「肉離れ日記」を自分で書いています!今後肉離れしてしまった人はぜひ自分に声をかけてください!少しでも参考になればとおもいます!

ここまで下手で長い文章を読んでいただきありがとうございます。それでは!